井戸水 vol.80

  • 2017.02.01 Wednesday
  • 00:02

JUGEMテーマ:エッセイ

 

私の家では井戸水を使っている。

専用のポンプで井戸水を汲み上げて、家に引いているのだ。

この辺りの家はみんな同じシステムだ。

 

私はこの家に住むまでずっと水道水を使っていたので、

蛇口を捻ると井戸水が出てくるこのシステムが、

とてもユニークで斬新に感じた。

 

 

もう今からずいぶん昔の、遠い遠い子どもの頃に、

東北の田舎で生まれ育った母が言ったことがある。

 

「井戸水はね、冬には温かくて、夏には冷たいんだよ。」

 

けれどまだ小さかった私には、

井戸水がどんなものなのか、まるで想像できなかった。

 

「どれくらいあったかいの?」

 

私がそう聞くと、母は懐かしそうな顔をして言った。

 

「まるでお湯みたいにホクホクしてるの。

雪が降って寒い朝は、井戸水の方が温かいから、よく手を浸けたっけな。」

 

「ふーん。」

 

こんなに短くて他愛もない会話は、

子どもの私をすぐに素通りしていったのだった。

 

 

私がこの家に住み始めたのは2001年5月の終わり頃。

もうすぐ16年になるなんて、自分でもびっくりだ。

確か引っ越してきてすぐに、初夏のような陽気になって、

汗ばむ私は茶碗を洗うたびに、

蛇口から出る冷たいお水に、涼ませてもらったのだった。

 

(井戸水っていいな。)

 

私は毎日そう思っていた。

 

真夏には更にひんやりと、井戸水は私を癒してくれた。

お風呂場で足にお水をかけるだけで、

少しの間、快適でいられるのだった。

 

そして秋にはお水がほんの少しだけぬるくなるから、

洗い物にはまだ給湯器は必要なかった。

 

やがて晩秋になり、時々お湯で食器を洗うようになり、

初冬になると、冬だからという理由で給湯器をつけて茶碗を洗っていた。

けれどある時、油のついていないお皿やコップを、

お水だけで洗ってみることにした。

するとどうだろう、お水を流せば流すほど、蛇口の水は温かくなり、

ホクホクと私の手を包み始めたのだった。

 

(あれ? なんで?)

 

私は、無意識に給湯器の電源を入れたのだと思った。

けれど電源ランプは消えたまま。

その時ふと、何十年も前に母が言っていた、

 

「まるでお湯みたいにホクホク温かいの。」

 

という言葉が、心の引き出しの奥の奥の方から、

フワリフワリと躍り出てきたのだった。

 

(本当だ。冬の井戸水ってこんなに温かいんだ・・・。)

 

いつの間にか私は、昔の母の言葉と会話していたのだった。

 

 

あれから16回目の冬。

毎年この季節になると、母が言ったあの言葉が何度も心をよぎる。

冬の井戸水は、本当にホクホク温かい。

 

けれども実は、夏の井戸水も冬の井戸水も、ほとんど同じ温度なのだ。

井戸水は一年を通して20℃前後。

季節によって変わるのは、井戸水の温度ではなく、

外界の環境と私たちの心の有り様だったのだ。

 

井戸水はほぼ一定の状態で地中に存在し、

それを受け取る私たちの感覚が、季節ごとに井戸水を変化させていたのだ。

 

井戸水って素敵だな。

いつでもぶれずにそこに在るだけなのに、

冬には温かいと感謝され、夏には冷たいからと重宝され、

いつでも使う人を幸せにする。

 

井戸水って不思議だな。

ぶれないって素敵だな。

冬になる度に私はそう思うのだ。

 

そして今年の冬もやっぱり温かい、井戸水が私の手を包むのだった。

 

 

 

・・・つづく・・・

 

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