跳べないネコ vol.89

  • 2017.02.10 Friday
  • 02:52

JUGEMテーマ:エッセイ

 

あるペットショップに、一年近く売れなかったネコがいた。

もうすぐ一年。一年経って売れなかったら、

ネコは殺処分(←尊厳無き命の扱い)されることになっていた。

それを見かねてタダ同然でネコを購入した女性は、

ネコのある行動に大きな衝撃を受けたのだった。
 

売れ残ったそのネコは、生後半年を過ぎた頃から、

店舗の片隅でとても小さなケージに閉じ込められていたので、

自分以外のネコと直接触れ合うことがなかった。

だからその女性が家に連れ帰り、

既に飼っていた2匹のネコに対面させたときにも、

とても怖がって、部屋の隅に隠れてしまったのだった。

自分がネコなのかも、自分がどれくらい大きいのかも、

ネコには分からなかったから。

 

新しいお家に慣れるまでの間、ネコはケージの中にいたけれど、

ある日「出てもいいよ」と言われた時にも、

ネコはなかなかケージから出ようとはしなかった。

今までケージから出てはいけなかったから。

 

けれど女性が根気よくネコに接し続けたことにより、

ネコは少しずつ少しずつ新しい環境に慣れ、

ようやくケージの外にも出られるようになったのだった。

もともといた2匹のネコにも、ちょっとずつ近づけるようになっていた。

 

そうしていく中で、女性はあることに気づいたのだった。

新しくやってきたネコは、ネコなのに、

自分の頭より高いところへ跳ぶことができなかったのだ。

 

一年間ペットショップの片隅で、

小さな小さなケージに閉じ込められて生きていたから、

ネコにとってその天井が、世界のてっぺんになってしまったのだ。

それ以上高い世界があることを知らずに大きくなったネコは、

自分がうーんと高いところへ登れるということを、

知らずに育ってしまったのだった。

 

人間はなんと罪深い生きものなのだろう。

お金儲けのために生きものの命を増やすだけ増やして、

売れなければ心や本能をずたずたにした末に、いとも簡単に殺してしまう。

声なき声はどうやって主張すればよいのだろう。

この尊厳なき命の扱いを。

 

お金のために何でもする人間。

実はそういう人間こそが、自分でケージを作り上げているのだ。

誰にも閉じ込めてられていないのに、勝手に閉塞感を感じ、

跳べる高さ、稼働域を小さく心に刷り込んで、成長することから逃げている。

楽して生きることを選択し、それをラッキーなことと勘違いしても、

この世に生まれ出でた人間は皆、源に還る際、

手土産を持ち帰らねばならないのだ。「成長」という名の手土産を。

だから誰しも平等に与えられた学びの機会を、

無視して生きることなどできないのだ。

自分で学べないのなら、学ばねばならない状況がやって来るだけだ。

 

 

自分の頭より高いところへ跳べなかったネコは、

その後、飼い主の深い愛情の下、

徐々にネコとしての動き方を思い出していったのだった。

 

このネコに悲しい経験を与えたのは人間。それを救ったのも人間。

同じ人間なのに立場が二つある現実を、跳べないネコは教えてくれた。

 

私にはケージがない。

上にも横にも前にも後ろにも、私を制限するものは何もない。

だから私はいつでもジャンプするし、いつでも発信する。

書くということで発信する。

たとえばこのネコのように、悲しい悲しい経験を、

人間が作り出しているということを。

 

この世に生まれてくるときに、自分に課した約束を、

私はちゃんと果たして還る。

 

私にケージはいらない。

 

 

 

・・・つづく・・・

 

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