耳が聞こえないこと、目が見えないこと vol.143

  • 2017.05.06 Saturday
  • 00:41

JUGEMテーマ:エッセイ

 

今日、ツイッターでフォローさせて頂いている方のリツイートを読んで、

私の心がザワザワした。

 

ある女性が耳の聞こえない女友だちと二人で、

大好きなアーティストのライブへ行った時のエピソードだ。

二人が手話で話していたら、後方から、

「なんで聞こえないのにライブ来てんの(笑)」と、

言われたそうだ。

ツイートをしたご本人はそのことがとても引っかかっていて、

もう忘れたいと呟いていた。そして最後にこう結ばれている。

「ライブは聞こえなくても光、振動、人の動き、雰囲気・・・

いろんな要素で楽しめるんだよ。」

 

私はその方のご意見にまったく同感だ。

音楽は耳だけで感じるものではないのだから。

 

私たちの体には五感というものがある。

視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚。

それに第六感という心の働きが加わって、

私たちは色々なものを感じ、認識できるようになっている。

 

そのどの部分を使って音楽や芸術を楽しむかは、

個々それぞれの自由であり、

他人にとやかく言われる筋合いはないのである。

 

せっかく耳が聞こえていても、

本質を聞いていないのであれば、聞こえていないも同然。

人の話をうわの空で聞いていれば、

内容も、人の心も、理解することはできないのだから。

 

それは見るということにも言える。

たとえ目が見えていても、

目の前の存在に無関心であれば、見えていないも同然。

せっかく子供とお散歩していても、

親がスマホばかりに気を取られていれば、

子供は一人ぼっちと同じこと。

 

聞こえるということ、見えるということ、

それは聞こえるもの、見えるものを、

意識して初めて成立する機能なのだ。

ただ、音を聞く、ただ、物を見る、だけでは、

耳と目に大変失礼なのである。

 

生き物の体というのは本当によくできていて、

五感のうちどれか一つが機能しなくても、

それを補うために、脳みそがちゃんと、

個々に合わせてカスタマイズしてくれるようになっている。

 

たとえば視覚を失った人の脳の視覚野は、

聴覚野へと神経細胞を伸ばしていくことが知られている。

つまりその人は目が見えない代わりに、

聴覚能力が通常の何倍にも研ぎ澄まされ、

他の人には聞こえない音まで捉えられるようになるのだ。

そしてそれは聴覚、視覚の間に限ったことではなく、

五感全体で影響を与え合うらしい。

 

だから耳が聞こえない、目が見えないということは、

とても不便なことではあるけれど、

それは体のある状態を指しているにすぎず、

決して何かが欠落しているわけではない。

むしろそれ以外の感覚処理能力が格段に優れているのだから、

芸術を最も感知しやすい人ということになる。

 

だから耳が聞こえない、目が見えないことのせいで、

何かを諦めたり、我慢する必要は微塵もないのである。

これからもじゃんじゃんライブへ行き、

じゃんじゃん絵画展へ行き、

じゃんじゃん芸術について発信すべきなのだ。

 

そして私が最も伝えたいこと、それは、

たとえ耳が聞こえなくても、

たとえ目が見えなくても、

心はちゃんと捉えているということ。

魂はちゃんと覚えているということ。

生きている間に聞いたすべての音を。

生きている間に見たすべての景色を。

 

だから、好きなだけ自由に羽ばたいて。

 

 

 

・・・つづく・・・

 

 

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