おはぎとぼたもち vol.164

  • 2017.09.23 Saturday
  • 23:08

JUGEMテーマ:エッセイ

 

今日は24節気の秋分だ。

太陽が真東から上って真西に沈み、

昼夜の時間が等しいとされている日。

しかし実際には昼の時間の方が若干長いのだけれど。

 

この秋分を中日とした前後3日間を秋彼岸と言い、

墓参や先祖供養(彼岸会)の法要をするのが

古くからの習わしだ。

なぜ秋分にご先祖様や故人を偲ぶのか、

それは仏教の教えと深いかかわりがあるからである。

 

彼岸とは仏教用語で、

「悟りを開いて至る浄土」のことで、

私たちが生きている煩悩の世界を此岸(しがん)と呼ぶ。

仏教の世界では極楽浄土は西にあると考えられてきたため、

真西に太陽が沈む秋分や春分に、

彼岸と此岸が最も通じやすくなるとして、

仏様に祈りを捧げるのに最適な日とされたのだ。

 

この、秋のお彼岸になくてはならないお供え物と言えば、

やはり何と言っても「おはぎ」だろう。

甘味を口にすることが少なかった昔にはたいそうなごちそうで、

来客のもてなしや田植えの後の寄り合い、

法要の際などに供された食べ物だったということだ。

 

もちろん春のお彼岸にも同じ食べ物をお供えする。

ところがその際の呼び名は「おはぎ」ではなく

「ぼたもち」が正解らしいのだ。

それは春と秋、

それぞれの季節の花にちなんでいるからだそうで、

春彼岸の「ぼたもち」は、

あずきあんの様子を「牡丹」の花に見立て、

秋彼岸の「おはぎ」は、

あずきあんの様子を「萩」の花に見立てたことが由来らしい。

 

このことを知った時、

なんとも日本人らしい豊かな感性に、

私の心はすっかり熱くなってしまったのである。

四季の移ろいがある日本だからこそ、

きっと言葉の至るところに、

季節ごとの色彩や香りが含まれているのだろう。

 

そしてまた、

昔の日本人がどれほど食べ物一つにも、

感謝と愛情を持っていたかが分かるエピソードではないだろうか。

何でもかんでも簡単に手に入る現代の私たちの方が、

もしかしたらたくさんのものを失っているのかもしれない。

少なくともあずきあんを花に見立てる心の余裕はないと思うのだ。

 

たかがおはぎ、されどおはぎ。

お彼岸のお供え物がまた一つ、

この私に日本の奥深さを示してくれたようである。

 

さて、暑さ寒さも彼岸までと言うけれど、

今日は本当に秋深い一日であった。

まだしばらくは此岸に生きるであろう私の耳に、

虫の音が細く切なく鳴り響いている。

 

 

 

・・・つづく・・・

 

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