ノーベル文学賞とノーベル平和賞 vol.166

  • 2017.10.07 Saturday
  • 22:17

JUGEMテーマ:エッセイ

 

私は今年のノーベル賞に、

深い深い意義を感じているところである。

 

なぜなら10月5日に

日系イギリス人のカズオ・イシグロ氏が

ノーベル文学賞に選ばれ、

翌10月6日には

スイス・ジュネーブに本部を置く国際NGO ICANが、

ノーベル平和賞を受賞したからだ。

 

ICANは広島と長崎で被爆した方々で組織された

日本原水協、日本被団協とともに、

核廃絶運動を展開し、世界に核の放棄を訴え続けてきた。

そして今年の7月7日に国連会議にて採択された、

「核兵器禁止条約」に大きく貢献したのである。

そこには被爆者の方々の生の証言があり、

それが大きな力になったことは言うまでもない。

 

そして文学賞を受賞したカズオ・イシグロ氏は、

原爆を投下された長崎県の出身なのだ。

もちろん彼の受賞はご自身の才能と努力によるものではあるけれど、

両者が同じタイミングで選出されたことに、

私は大きな意味を見出してしまうのである。

今、私たち人類は、

重要な選択を迫られている気がするからだ。

 

地球上には73億もの人間がいて、

そのうちの99.9%がどんなに平和を心掛けても、

残り0.1%の人間が間違った選択をすれば、

たちまち目の前にある世界は消え失せてしまうのである。

その確率をひたすら高めているのは「核」の存在なのだ。

そんな危険な「核」は今すぐにでも廃絶すべきなのに、

世界には「核」を抑止力として保有する国がいくつもあり、

唯一の被爆国である日本でさえ同盟国に同調し、

先の国連会議では採択に参加すらしていない。

 

そういう今の世の中にノーベル賞という場を借りて、

神様が問いかけているのではないだろうか。

「核戦争の危機が目前に迫っているけれど、

本当にこのままでいいのですか?

平和のためには何が必要で、何が不要なのですか?」と。

人間がいつまでたっても覇権を争って前に進めないから、

神様がちょくちょく

考えるきっかけを与えてくれているのではないだろうか。

 

「核」の悲惨さは日本人にしか語れないもの。

HiroshimaとNagasakiは世界に通用するコトバ。

両者が揃って受賞したことは、

私にとっては神様からのメッセージに他ならなず、

平和に対して課せられた日本と日本人の役割が、

いかに大きいかということを物語っているようなのだ。

 

残念ながら日本政府は、

ICANのノーベル平和賞受賞についてノーコメントを貫いている。

私は一人の日本国民として自国の対応が心底恥ずかしい。

けれど世界はそんな日本を見ているし、

私たち日本国民もまた日本という国を見ているのだ。

それもまた神様が与えてくれたきっかけだとすれば、

日本も何かが変わるのかもしれない。

 

今年のノーベル文学賞とノーベル平和賞は、

私の心にズシリと重いボールを投げた。

そろそろ人類が選択の時期に来ているであろうことを、

予感させる今年のノーベル賞なのであった。

 

 

 

・・・つづく・・・

 

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