共感 vol.167

  • 2017.10.15 Sunday
  • 00:36

JUGEMテーマ:エッセイ

 

もう何年も前の話である。

まだ赤ちゃんと言っても過言ではない程小さな女の子が、

ショッピングセンターでほんの一瞬母親が目を離したすきに、

幼児性愛者によって連れ去られ、

数日後に遺体で発見されるという痛ましい事件があった。

 

直後に報道番組のリポーターが、

同じ年頃の子供を持つ母親たちに心情を尋ねたところ、

「うちの子だったらと思うとゾッとする」とか、

「これからはもっと防犯に力を入れてほしい」

という意見が多く出た。

そう思うのは至極もっともなことである。

しかしそういう発言をした人の口からは最後まで、

遺族の悲しみに寄り添うコメントが出てこなかったのだ。

私はそのことに強い衝撃を覚えたのだった。

 

それを結婚したばかりの友人に話したところ、

「あたりまえじゃん。

誰だって人のことよりまずは自分の家族だよ。」

とけんもほろろに返されてしまったのだ。

もちろん誰だって自分の家族は大切だ。

しかし世の中で不幸が起きた時に、

あー、自分じゃなくてよかった、

あー、自分の家族じゃなくてよかったと思うだけならば、

そもそも共感機能なんて必要ないではないかと

当時の私は思ったものだ。

 

お腹を痛めて産んだ我が子が、

無残に殺された悲しみや怒りに最も共感できるのは、

同じ母親という立場の人ではないだろうか。

殺されたのが我が子じゃなくてよかったかもしれないけれど、

我が子と同じ年頃の女の子が殺されたのは紛れもない事実なのだと、

当時の私は声を大にして言いたかったのである。

 

 

今でも悲惨な事件をニュースで見聞きすると、

私はあの日の友人の言葉を思い出す。

 

「あたりまえじゃん。

誰だって人のことよりまずは自分の家族だよ。」

 

他人の痛みに対してとても敏感だった結婚前の友人なら、

こんな言い方は決してしなかっただろう。

そして私はこの年になってやっと気づいたのだ。

あの時の友人の心には、

他人に共感するだけの余裕がなかったのではないだろうかと。

 

他人に共感するためには

花の咲く大地のような心が必要だということを、

私は今になってやっと気づいたのだ。

土が痩せていれば花や木や草が育たないように、

心が痩せていたら他人を思いやれるだけの

丈夫な芽は出てこないのだ。

 

だから世の中が殺伐とすればするほど

心にたくさんの肥料を蒔いて、

他者に共感し、思いやる余裕を育てることが大切なのだ。

たとえ自分や家族が無事だとしても、

世の中が不幸であれば、

その無事は長続きしないのだから。

 

 

大空を見て美しいと思い、花の香りに感謝すれば、

自然と心に栄養が染み込んでいくだろう。

そうやって一人一人の心に余裕が育っていけば、

世の中はもう少し暮らしやすい場所になるかもしれない。

 

そういう場所になればいいなと思いながら、

私は日々大空を見上げている。

みんなが他者の痛みや悲しみに共感し合えれば、

世の中はもっともっと平和になることだろう。

 

そうなることを私は心の底から

望んでいる毎日なのである。

 

 

 

・・・つづく・・・

 

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