「ゆるす」ということ vol.172

  • 2017.11.20 Monday
  • 01:31

JUGEMテーマ:エッセイ

 

事あるごとに「ゆるす」という言葉を謳うある宗教が、

私はとてつもなく苦手だった。

何をされても「ゆるす」だなんて、

どうしてそんなことが言えのだろうと。

 

たとえば誰かに家族を殺されても、

犯人を許せということだろうか。

たとえば見知らぬ誰かにレイプされても、

「いいのよ、べつに。」

と笑って許さなくてはならないのだろうか。

 

そう考えれば考えるほど、

その巨大な宗教団体が嘘くさく感じて仕方なかった。

 

そんなある日、たまたま付けたテレビの中で、

アフリカのツチ族とフツ族の争いで、

多くの村人が命を落としたことを取り上げていた。

 

その争いで幼い息子を目の前で殺された若い母親が、

インタビューにこう答えていた。

ある日自分の幼馴染の男が突然家に入ってくると、

刃物を息子に突き立てて殺したのだと。

 

私はその母親の悲しみを思い、

涙を流さずにはいられなかった。

ところが彼女の次の言葉に私は絶句してしまったのである。

 

「私はそれからすぐに、

息子を殺したその幼馴染と再婚したの。

私は宗教の教えに従って彼を許すことにしたのよ。」

 

若い母親はまるで聖女のような顔をしてそう言ったのだ。


だから私はこの宗教が苦手なんだ・・・。

私にはその母親の気持ちが

まったく理解できなかった。

 

そんなある日、調べものをしていると、

「赦す(ゆるす)」という言葉に行き当たった。

意味を見ると、「罪などをなしとする」「放免する」とあった。

そこでもう一方の「許す」を調べてみると、

「何かをすることを認める」「許可する」となっていた。

二つの言葉は同じようでいてまるで違っていたのである。

 

私は堰を切ったように、

その宗教団体の言う「ゆるす」を調べてみた。

すると謳っていたのは「赦す」であり、

罪を大目に見たり、

罪を見て見ぬふりをすることではなく、

相手を罰したいという欲求を手離して、

すべてを神のみ手にゆだねる、

ということだったのだ。

 

長い長い間、喉の奥に詰まっていたものが、

ストンと一気に流れ落ちたような感覚を覚え、

そして私は納得したのである。


罪が罪として天へ上るなら、

傷つけられた心の存在も、

同時に天は受け止めてくれるはずだと。


もしも誰かに家族を殺されても、

もしも誰かにレイプされても、

犯人は決して犯した罪から逃れることはできず、

天の裁きを待つ間、

傷つけられた側の心と体には、

天の癒やしが与えられるのだと。


「赦す」と「許す」の違いを知ったことで、

私の心は癒され、

とても落ち着いたように思う。

本当の意味を知ることは、

こんなにも大切なことなのだ。

 

さて、そこで一つ気になるのが、

アフリカで幼子を殺されたあの女性のことである。

彼女の話を聞く限り、

彼女の「ゆるす」は「許す」、

つまり「大目に見る」ではなかっただろうか。

我が子を殺害された母親が犯人と愛し合える状況は、

「赦す」こととは程遠いように感じてしまうから。

 

敬虔な信者でも意味を誤解しかねない

「ゆるす」という言葉は、

それほど奥が深いと言える。


「赦す」とは、

たとえ激しく傷つけられても、

相手を裁くのは人間ではなく、

天の役割であることを理解すること。


宗教の信者であるなしに関わらず、

すべての人間が「赦す」ことを実践できたなら、

この地球上から戦争という愚かが、

もしかしたら消滅するのかもしれない。

 

裁きは天の役割であり、

憎しみや悲しみを手放すことが人の役割。


手放すことができたときにこそ、

本当の癒しは起きるのだろう。

 

 

 

・・・つづく・・・

 

 

コメント
コメントする








    

calendar

S M T W T F S
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    
<< March 2020 >>

 

selected entries

categories

archives

recommend

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM