詩という言語 vol.9

  • 2016.11.16 Wednesday
  • 04:08

JUGEMテーマ:エッセイ

 

私は小さい頃から詩を書いている。

だれに教わったわけでも、

だれに書きなさいと言われたわけでもないけれど、

私は小さい頃から詩を書いている。

 

小学校に入学して文字を覚え、文章を習い、

クラスのみんなが日記を書くようになると、

私は日記を書くように詩を書いていた。

どういうわけだか詩を書いていた。

 

そして放課後になると担任の先生に、

詩のノートを見せていた。毎日毎日見せていた。

 

定年間近の男性教諭は、孫のような私が書いた詩を、

一字一句丁寧に読んでは、この表現が素敵だね、とか、

この時はどういう気持ちだったの?と、

ちゃんと私に向き合って下さるのだった。

 

今思えば詩を書くことが、

唯一私のアイデンティティだったのかもしれない。

詩を書くことで自己を表現し、それを褒められるということで、

自分の存在を承認してほしかったのかもしれない。

 

けれどなぜ詩なのだろうと自分に問うても分からない。

ただ言えることは、私にとって詩を書くことは、

呼吸をすること、自分の足で歩くこと、

言葉を発すること、生きるということ。

 

赤ちゃんは生まれてすぐに自分で呼吸を始める。

教わらなくても自分の足で歩き始める。

習わなくても言葉を発する。

生きるために生まれてくる。

 

私にとって詩を書くことは、それと同じようなものなのだ。

だから必然的に、大きくなったら詩を書く人になると思っていた。

 

中学2年生の時、仲の良かった友だちの家に遊びに行くと、

友だちは幼馴染のお姉さんから借りたという、

1本のカセットテープを聴かせてくれたのだった。

 

私はラジオデッキの小さなスピーカーから流れてくる、

女性アーティストの声色と歌詞を聴いて、

言葉では言い表せない程の衝撃を覚えたのだった。

 

その人の名前は荒井由実(現松任谷由実)。

今まで聴いたことのない彼女の声色は、

彼女自身が書いた詩を、天上界へ押し上げるほどのパワーで、

私の心を射抜いたのだった。

 

それ以来私はユーミン(荒井由実)の虜になった。

 

お小遣いを貯めて初めて買った彼女のアルバムは「ALBUM」。

今では幻のアルバムらしい。

特に好きだったのは、「消灯飛行」という作品だ。

 

せつない詩と曲がマッチングし、まるで映画を見ているように、

景色、主人公の表情、恋人の様子が、浮かび上がるのだった。

 

私にとっての「歌」は、音よりも言葉が主役なので、

歌を聴くときにも歌う時にも、私はいつも言葉を追いかけてしまう。

 

だから言葉が不自然な歌を聴くと、落ち着かなくなってしまうのだ。

詩と曲が合っていない。曲ばかりが存在感を出している。

詩が死んでしまっている歌を聴くと、言の葉をとても可哀そうに感じるのだ。

 

ユーミンの歌を初めて聴いたとき、言葉がとても瑞々しくて驚いた。

そしてこんな言葉も歌になるんだ、こんな言葉を歌にしてもいいんだ、と、

私の心はときめいたのだった。

 

ユーミンの音楽に出会ってから、私の詩の書き方が大きく変わった。

言葉が音に乗ったときに、どう聴こえるのかをイメージして、

詩を書くようになったのだ。

 

そして21歳の時、私は作詞家としてデビューした。

ある女性アーティストのアルバムに、

1曲詩を書かせてもらえることになったのだ。

 

それをきっかけに、色々な方に詩を書かせて頂いたが、

私はシンガーソングライターではないので、

表現できることには限度があった。

 

職業作家は、与えられた仕事を期日までにこなす。

受注の際に大まかなコンセプトを聞き、

歌い手のイメージに沿って、詩を書くのだが、

ほとんどの場合、曲が先に出来上がっており、

その曲に言葉をはめていく。

 

既に音録り(曲のレコーディング)後の発注であることが多いので、

絶対的に文字数は変わらない。

 

もちろんこちらはプロなので、

決まった文字数でいくらでも詩を書ける。

けれどあるプロデューサーの依頼の仕方に、

何のために詩は存在するのだろうと、

歌作りのための詩作に疑問を抱いてしまったのだった。

 

「とりあえず明日までにチャチャっとやっちゃって。

時間がないからとにかくやっつけで。

言葉さえ乗っかってれば何でもいいや。ヨロシクねー!」

 

(なんだ、それ? そんなの歌じゃないじゃん・・・。

だったらいっそハミングでいいじゃん・・・。)

 

私は心底不愉快になったのだった。

言の葉の居場所がない。歌なのに・・・。

 

現在はどうか分からないけれど、

まだ日本の経済がすこぶる元気だったあの当時、

音楽業界にも勢いがあった。

 

レコーディングはとりあえず海外で、という時代。

日本の楽曲は圧倒的に、詞 < 音 だった。

 

私は30歳になる頃に、作詞家としての活動を、

徐々にフェードアウトしたのだった。

私には職業作家は向いていない。そう思ったから。

 

そんな私が最もやりがいを感じた仕事は、

NHK「みんなのうた」だった。

作品の作り方に余裕があるので、とても楽しかった。

 

そして何より「みんなのうた」に詩を書くことは、

私の夢のひとつでもあったので、この上ない幸せを実感した。

 

3曲詩を書かせて頂いた中で、「太陽の詩」が最も好きだ。

自然をシンプルに表現した歌だけれど、

そこには自分の根源がある。

 

久しぶりに読み返してみたら、

今書いている詩の世界と同じだったのだ。

 

久しぶりに詩の世界に戻ってきてみたら、

結局書いていることは、あの頃のままだった。

書きたいことはあの頃と同じなのだ。

 

そのことに気づいたとき、

やっと本当の自分に戻れた気がした。

あの頃の自分が愛しくて、今の自分も愛しくて、

心から抱きしめたくなるのだった。

 

色んな経験をして今まで生きてきたけれど、

私にとって詩を書くことは、

私がこの世に生まれてきた理由に他ならない。

結局私は詩を書くようにできている。

 

詩は私の言語なのだ。

 

 

 

・・・つづく・・・

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